
こんにちは、カナミです。
大変だった、新卒栄養士編。
もう戻りたくはない大変だった新卒時代のお話です。
この記事を読めば、
- 限界まで働くのはダメ
- やりたいことを仕事にしよう
- 辛い現実からは迷わず次に進もう
ということがわかるので、事前対策していこう。
\専門学生編のvol.2はこちら/
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経験値が上がったバイト4選!専門学生の【転職体験談vol.2】
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目次
もくじ
栄養士の現実は辛いと知っていたけど、とりあえずやって詰んだ
就職面接も2回目で決まり、楽でした。一人暮らしに憧れて、実家から離れた場所に就職。
そして、専門学生の頃に貯めたバイト代で都心部のマンションにお引越し。
もう頭の中はお花畑。20歳にしてようやく社会人、都内一人暮らしって最高じゃんって。
しかし若気の至りか、夢だけ抱き何も計算していなかった。←
そんな環境で社会人のスタート、新卒・保育園の栄養士。
職場環境などはざっくりこんな感じ。
・THE 女社会
・お局さん多い
・給料手取り14万円ほど
・7時〜16時勤務(残業代なし)
これに対し家賃は7万以上と高く、手元に残るお金は光熱費などの生活費で消えていく…。
仕事は朝7時に出勤。休憩中は洗い物がたまる関係で、お昼を15分くらいで食べたらすぐに戻る。
仕事が終わった後は帽子で髪がぺちゃんこ。調理中の蒸気で化粧なんて消え果て、10リットルくらいの味噌汁持ち上げたり、立ちっぱなしだったりくったくた。
あ〜、キッツイ…。
というか、
ちがう。
そもそも「やりたくない仕事」
栄養士になりたくなかったのです。

栄養士あるあるなのですが、栄養の管理ができると思うじゃないですか。
ちがうのです、
基本、栄養士って調理要員なんです。(国家資格の管理栄養士なら新卒で栄養管理できるかも)
栄養士(特に新米)の主な仕事は、
・調理全般(病院、保育園、社食...etc)
・食品の管理(発注など)
・食器洗い
・掃除
など。
これを専門学生の頃に知ってから、「あああ調理したくて勉強してるんじゃないんよ。。」と、やる気は喪失。
学校をサボりはしなものの、その頃から「アパレルやりたい〜」と別の夢をい抱いていた私。
その上、職場の人間関係も良くはなかった。
栄養士の職場現実、やっぱり働く人で辛さが変わる
「今日の給食もさ〜、味うっすいんだよね〜」
「味付けくらいちゃんとして欲しいわよね〜」
…など、同じ休憩室で、それも真横で言ってくる数人の保育士さん。。
いや、子ども用の味付けですから…。。栄養価を考えたらこうなりますから…。ほぼ毎日なんかしら文句言われてた。。
とりあえず、無視。。
でも、心にはグサグサくる。
栄養士も栄養士で、「声張って怒る系」の先輩がいまして。。私が悪い時はしょうがないけど、そうでない時も怒られたり…。。もはや私はストレス発散の窓口なのだろうなという感じだった。
悪い人とは思ってなかったけど、とても大きなストレスになっていた。
どんどん憂鬱になってきて、家での生活も苦しいし、16時に仕事が終わっても、寄り道なんてする気力もありゃしない。
家ではきな粉とグラノラばっかり食べてた。(これは今でも謎の節約術)
ある日、手首に痛みと違和感を覚えて整形外科にいったら、腱鞘炎だった。
現実の辛さに「溶けたい」と思う栄養士3ヶ月目
あーあ、栄養士あるあるの病気になってしまった…調理以外、何もできんのに。。。
休みたい…でも腱鞘炎なんて、理由にならない。。
そうして痛みを感じながらも調理に励む日々。
痛い、辛い、きつい……いろいろと。。。
とある日。
会社にいく通勤電車待ち。ぼーっと遠くから近づいてくる電車。
(あぁ…このままこれに乗ったら仕事行かなきゃいけないんや…)
(一歩踏み出して線路に落ちちゃえば、行かなくて済むのかな…)
(このまま溶けてなくなっちゃえばなぁ…)
……!!!
ハッとした。
目の前をゆっくり通り過ぎる電車。いつも以上にスローモーションで。
こんな自然に「溶けたい」と思ったのは、初めてだった。
「…仕事、やめよう。」
3年間がんばろうと思ってたけど、もういい。
お金の心配もどうでも良い。もうやめよう。
じゃないと、本当に溶けてしまうよ。
現実が辛いなら逃げるのみ、栄養士以外も道はある
園長先生に、勇気を振り絞って、
「退職したいです…。」
ぼそっと、誰にも気づかれないように…。
「やっぱり…、あなたの元気がなくなっていっているような気がしていたわ。」
予想外の返事だった。
普通辞めるとしたら最低でも2週間は働くものだけど、限界を察してくれ、
「明日は休んで良いわ。そして、この時間にここへ返却物を持ってきて。あなたはこのまま辞めていい、私から話しておくわ。」
涙がじわじわ溢れてくる。唇を強く噛む。
そうして、翌日その通りにした。園長先生以外は誰にも会わずに、保育園を出た。
振り返ると、大きな保育園。
どこかのクラスで、「はじめの一歩」を歌っていたのが心に染みる。。
さようなら、初めての就職先。
さようなら、栄養士だった私。
ただ、
子どもたちと触れ合えた時間は、間違いなく楽しかった。
カナミ先生って呼ばれるのも、すごくうれしかったな。
その思い出だけは、キレイなままで、溶かさないようにしよう。
栄養士に関わらず、辛い現実からは逃げちゃっていい
初めて仕事で、「辛い」、「限界かも」というところまできた。
ほとんどの栄養士が辞めて他の道へ進もうとするのが現実であり、経験した人にしかわからない辛さがある。
駅のホームでの出来事より、勇気を振り絞って園長先生に退職意思を伝えることができたけど、もし少しでも遅れていたら……。
溶けてはいなかったとしても、心の病気になってしまっていた可能性も否めません。
辛い仕事からは、逃げていいんです。
もし辛くても逃げられない人がいたら、退職代行サービスの検討を。今は便利な時代です。
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